最近よくわからない言葉が多いような気がする。特別な業界用語は別としても、英語の頭文字だけをとった言葉や流行語など、普通に新聞に載っている言葉でもわからないものが多い。報道機関(新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミ)では、使用できる言葉は選別しているのだろうが、その基準をどこにおいているのだろう。私の知識の無さや年齢のせいかもしれないが、それにしても分からない言葉が多い。昔から使われていて自分に分からない言葉は、辞書を引けば、音読み・訓読み・その言葉の意味と使用例は大体理解できる。しかし、現在使われている言葉でも辞書に載っていない言葉もいくらでもある。『現代語の基礎知識』(『イミダス』『知恵蔵』など)のような、新語や流行語などを加えて毎年書き換えられる書物を見ないとわからないものが多いし、それにも載っていないものもたくさんある。

普段使っている言葉でも、自分にも意味がよくわからない言葉がある。もちろん自分の口から出る言葉なので、何となくその文脈でわかるのだが、その言葉の実体が分かっていないのに使っている場合が多い。私にとって「ストレス」という言葉がそうである。「ストレス」という言葉はマスコミだけでなく、普通私たちが毎日のように使っている言葉である。にもかかわらず、その内容がよく分からない。「ストレスが原因だ」とか「ストレスが溜まっている」などいう言い方をよく聞く。医者の口からも「ストレス」という言葉が出てくる。私は病院に行った時、「ストレスという言葉をお使いになりますが、そもそもストレスということはどういうことを言っているのでしょうか」と複数の医者に聞いたことがある。いずれの医者も先ず私の質問に驚き、どう答えたらいいか戸惑う。ある医者は「ストレスにもいろいろありまして、一概には言えないのですよ」と言った。もう一人の医者は「ストレスとは精神的な緊張やそれに伴う圧迫感のようなことです」と答えてくださった。もう一人の整形外科の医者は「そうですね、ストレスが分かりませんかね」とだけ言って話は終わってしまった。私はお医者さんを困らせるために聞いたのではなく、よく分からないから聞いただけなので、それ以上聞き返すことはやめた。もう少し聞けば医学的に専門的なことを教えてくださったたかもしれない。あとで考えてみると、この3人の医者は「ストレスとはなにか」という私の質問にそれぞれうまく答えていたのかも知れないと、思った。私なりに医学的に専門的なことはともかく、いろいろ調べてみると、ある臨床的な結果から、何が原因なのかよく分からない場合、その原因の総体をストレスと呼んでいるようだ。ストレスという物ないしは事があってそれが原因で症状が観察されるというのではなく、ある症状から結果的にその原因ではないかと想定されるものの「名称」を「ストレス」と呼んでいるのだ。特別な場合を除いて「ストレス」というものの実体は実は医学的にもよくわかっていないらしい。それが私にわからないのは当然なことなのである。ただ、「精神的・身体的緊張感・圧迫感、それに伴う原因不明の不快感」を指しているようだ、ということは理解できたような気がした。それで十分なのかもしれない。
ただ「ストレス」という言葉は、言語学的に言えば、その言葉が表された記号としての表現、いわゆる「シニフィアン」(能記、記号表現)は看取出来ても、その「シニフィアン」が指し示す意味や内容である「シニフィエ」(所記、記号内容)がよくわからないのである。特に「ストレス」の場合、その言葉のシニフィアンだけがひとり歩きしているように感ずる。あるいは、二重に言語的不備が重なっているからかもしれない。にもかかわらず私たちは日常会話の中で「この仕事は人間関係が難しく、心的ストレスが大きくてたまらないよ」「そりゃ大変だね」とかいう言葉を交わしており、何の違和感も感じていない。私たちは「ストレスとはなにか」と聞かれても返答できないし、そもそも「ストレス」がもたらす状態がどんなものかさえよくわかっていない。ましてその原因はほとんど掴んでいない。だが会話は通じているのだ。言葉の不思議さを感ずるのはそういう時である。乱暴に言えば、初めに「ストレス」という言葉が先ずあり、意味もわからずに耳に入ったのである。その後、「ストレス」という言葉がどんな時どのような文脈で使われるかを学び、意味内容も不確実なまま自分もその言葉を使うようになる。要するに話が通ずればいいのである。重要なのは、先ず言語的表現(音であれ文字であれ)が先ずあるということである。その言語表現に付加されるものは全て後付けなのである。「初めに言葉ありき」というより他にないような気がする。

Comments are closed.

Post Navigation