「家居旅心」とは聞き慣れない言葉である。普通の国語辞典には出ていない。しかし特殊な意味を詮索しなければ、なんとなく理解できる言葉である。家に居ながら、旅のことを考えたり、旅に出たような感覚にとらわれたりすることである。どこか旅に出たいなあ、と思うようなことまで含めれば、だれでもが普通に感ずることである。特別な意味があるようには思えない。

この言葉は、兵庫県龍野市出身の三木清という、当時の時勢に翻弄されながらも、二重否定を経た主客一如、知と情の融合を基本にした協働(=共同)主義を唱えていた才ある思想家が、1937年(昭和12年)に書いた文章の題名である。本文に「家居旅心といふ言葉を作るならば、それが私のこの頃の生活感情である」とある。この言葉に込めたかったのは、山水明媚の地や深山幽谷の地を訪れたり、都会にある歴史的な大伽藍や有名な建築物を見に行くような旅ではなく、平凡に広がる平野を「動くともなく淀むこともなく流れる河、何處から何處へ通ずると知れぬ往還」それに連なる村や町で営まれる人間の生活が重要であり、超俗とか脱俗のために世捨て人に憧れるような旅は自分の旅ではない、ということを強調したかったようだ。その随筆はそのような内容で書かれている。三木が置かれた難しい立場を内面的によく表した文章とも言えるし、これからの行く先を見据えた自意識の発露とも取れる。三木は当時まだ40歳であった。
私は初めてこの文章を読んだ時、若干40歳でこれまで静かな悟りのような「境地」によく達したものだと思ったが、それは大きな誤解であることが今読むとよく分かる。「家居旅心」は、私が初めに感じていたような意味での、獲得すべき「境地」なのではない。旅の境地をはっきりと理解した上での、そのような境地への「挑戦」であり、その出発点としての「覚悟」だったのである。ふつう字面からだけでは抜け落ちてしまうのだが、三木はその言葉に未来に向けた強い意思を含蓄させていたのである。
旅とは、暇な時に時間とお金をかけて珍しいものを見て歩く観光旅行のようなものではないのだ。少なくとも三木にとっては「生活感情」に根を張ったものなのである。だが、三木は「空想は旅心」だとも言う。空想と言えば一般には生活感情の対局にあるように感ずるが、生活感情こそが空想を必要とするのだと、ここで三木は強調したいのである。妻を亡くしたという特殊な事情があったとはいえ、平凡な「この日々の生活を旅の気持ちで生きる」ためにこそ「構想力」や「想像の論理」が必要だというのだ。未完に終わった三木の主著『構想力の論理』は、毎日の生活感情が必然的に要請する、ごく平凡な「空想の論理」を「構想力」を媒介にして、過去の歴史的事実を理解し未来を見据える、その出発点に置いている。この随筆に出てくる「空想は旅心」とい言葉こそ、そういった意味で「家居旅心」という創作言葉の真の意味であり、それからの三木の思想を支える核になるものであった、というべきである。
三木清は、結果的に終戦間近の1945年(昭和20年)3月に検挙され、その6月に治安維持法の容疑者をかくまい、保護逃亡させたという嫌疑により巣鴨の東京拘置所に送られ、その月の20日に中野にある豊多摩拘置所に移された。9月26日、すでに終戦していたにもかかわらず、豊多摩拘置所で当局の過酷な取り扱いのため獄死した。48歳の若さであった。この事件をきっかけに治安維持法は全面的に破棄されたという。こんなことが起きてもいいのかという、許しがたい事件の典型である。

「旅について」書こうとしたが、本日「秘密保護法」の成立の報道を聞いて、話が脱線気味になってしまったが、三木が「家居旅心」という言葉にこめた、その奥行きと広がりをここで再考したい。

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