室生犀星の『抒情小曲集』にある
「ふるさとは遠くにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの」
という詩句は「ふるさと」という言葉のもつ二重性をよく表している。思いと現実とがどこかで引き裂かれ、ちぐはぐになっている感じがよく表されている。帰りたいのだが帰れない、あるいは帰ってはならない、帰れば「ふるさと」ではなくなるというアンヴィヴァレンツな感情が「帰るところにあるまじや」と続くリフレインによく出ている。犀星は金沢の出身だが、金沢に帰ることは殆ど無かったという。しかし、逆説的に犀星は、ふるさと金沢に帰りたかったに違いない。この詩を読んでいると、過ぎ去らない苦の記憶を昇華させて今にも帰りたかったように思えてくる。だからこそ「遠くにありて思ふもの」という言葉が出て来たのである。しかし実には帰れなかったのである。多かれ少なかれ、私たちにとって「ふるさと」はいろいろな意味で「二重性」をはらんだ、時には矛盾する存在でもある。啄木が「石をもて追われるごとく」去らねばならなかった渋民村も「帰るところにありまじき」ところではなかったに違いない。後になっても渋谷村にいつも思いを馳せていたことからも、
その二重の感情は伺えるはずである。

「ふるさと」(故郷)などというものは現実には存在しない。逆説的に聞こえるが、そういう現実に存在する場所を「ふるさと」とは呼ばない。それが生まれた土地であれ、長く住んでいる土地であっても、現に今居住している場所や地域は居住地に過ぎず、「ふるさと」という言葉はあてはまらない。「ふるさと」はどんな形であれ、また時間の長短にかかわりなく「ふるさと」と呼ばれるべき場所を離れた時にそこが「ふるさと」になるのである。「ふるさと」は「在る」のではなく「ふるさと」に「成る」のである。その場所からの別離の時間的経過が必要なのである。その時間の長さによってその場所への思いが多様なものと成るだけである。
森鴎外は石見の国津和野出身だが、一度も津和野に帰ったことはなかったにもかかわらず、大正11年に書いた遺書に「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス、、、、、墓ハ森林太郎墓ノ外ノ一字モホル可ラズ、、、」と書き、墓は津和野の永明寺にあり、墓碑には「森林太郎墓」とだけ刻んである(同意の墓が東京三鷹の禅林寺にもある)。鷗外は林太郎に戻り、津和野が「ふるさと」になったのである。鷗外の強気に響く遺言とはうらはらに、誇りはあっても、ふるさと津和野には淋しく帰るという思いがあってこその豪語だったに違いない。ふるさとは淋しく帰る場所なのである。かのヘルマン・ヘッセも祖父の時代に、バルト海のエストニアから南ドイツのシュヴァーベン地方にある「黒い森」と呼ばれる森林地帯が始まる北東部のカルフと言う小さな町に移り住んだ。プロテスタントの牧師の家庭であったが、カルフの町を逃げ出してから、一度もカルフに帰ったことはなかった、と言われている。後年はスイスのルガノ湖のほとりのモンタニョーラという村に住みそこで没したのだが、ヘッセは「自分の故郷<Heimat>はナゴールド川のほとりの町カルフである」と何時も言っていた」という。ナゴールド川は大河でもなく、清流でもない。ごくありふれた田舎の川である。しかし、ナゴールド川はヘッセにとって子供時代を過ごした心の深層に残り続けていた場所だったに違いない。「ふるさと」とは魂が淋しく帰る場所なのだ。堂々と凱旋して帰る場所を「ふるさと」とは呼ばない。どうしてもそうは呼べないのだ。鷗外の場合も、ヘッセの場合も、その趣や心情に差異はあっても、凱旋して帰るという華やかな気合はなく「淋しく帰る場所」という感慨だけが最後まで残ったのではあるまいか。私にはそう思えて仕方がない。
最近評価が高くなってきている漂白の歌人山崎方代に「ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壷の底にゆられてわがかえる村」という歌があるが、山崎方代も右左口郷に淋しく帰るのだと思ったに違いない。(当時右左口郷は、山梨県東八代郡中道町右左口宿だったが、今は甲府市に合併され甲府市右左口町と味気ない名前になってしまっている。残念なことである)
にもかかわらず、人間は誰も「ふるさと」に帰りたいのである。幸であれ不幸であれ、その場所に住んだということ、それが「ふるさと」になる条件である。というのは、そこで過ごした時間と場所が同一化しながら遠隔化され、現実という言葉を忘却してしまうらしい。年齢や境遇にかかわりなく「ふるさと」はそこを出るときも、帰るときも淋しく涙を流す。なぜだろうか。この涙の謎はまだ私には解けていないが、生が死に、死が生に反転する契機が「ふるさと」という言葉に埋め込まれているのかも知れない。

2 Thoughts on “「ふるさと」は淋しく帰る場所

  1. こんばんは。お世話になっています。

    ふるさとというのは、いま現実にあるものではないけれど、いまの自分を形作った母の胎のようなもの、という点では、当人にとっては身近で確かな存在ですものね。
    ひとは衣食住を満たされたらそれでいい、ということはなくて、まわりのひとたちの愛情とか友達との交流とかいさかいとか、感動とか失望とか怒りとか、そういうことの積み重ねで人格が形成される。
    ふるさとというのは、そのような、そのひとの人間性の源なのだから、誰にとってもいとおしいもののはずです。

    キリスト教徒であれば、いのちの源である生ける神の愛に報いる、ということに自らの生の根拠を求めることが可能だけれど、神をもたないふつうのひとにとっては、「わたしはどこからきたのか」という問いの向くさきとしてふるさとは意識されるのだと思います。

    でも、「ふるさと」は神のような、仰ぎ見る対象ではない。

    「成長」ということばがありますが、ひとがひととして生きる、というのは、たえず人格を変化させること。それは、一面では「ふるさと」によって形成された自分の人格、あるいはそれと密接に関係するアイデンティティを壊すことに繋がるのかも知れません。
    「ふるさと」に対するいとおしさ、涙、といった感情は、「ふるさと」によって形作られたものから自ら「乳離れ」せざるを得ないことの哀しみによるのではないかな、という気がします。

    • masatoshi on 2013年11月2日 at 12:22 PM said:

      宗像 眞次郎様
      ”「ふるさと」は淋しく帰る場所”へのコメントありがとうございました。
      「ふるさと」によってその人の人間性にようなものが形成されるのではないか、
      というご指摘、私もそう思います。
      「ふるさと」に対するいとおしさ、涙などの感情は、ふるさとによって育まれた
      ものから自ら「乳離れ」せざるをえないことによる哀しみによるのではないか
      という表現に納得しました。

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