今年はなぜか「路地裏」にこだわってきたような気がする。
 この23日に上京したついでに、文京区茗荷谷から本郷まで歩いた。この周辺は明治以来の文豪墨客の史跡が近くに並んで点在する土地である、今回は主に、小石川小日向、本郷団子坂、菊坂あたりの路地裏を歩いた。何せ坂と谷ばかりである。しかもそれぞれの台地、坂、谷に名前が付いている。どこかで読んだり、聞いたりしたような名前が多い。自動車の通行ができないような狭い道があるので、まさに路地裏と言うにふさわしい。有名な『坊っちゃん』の最後の「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある」という文章にひかれて小日向4丁目に行った。養源寺という寺はなく、清の墓のモデルとなったのは「本法寺」という寺である。このへんとしては敷地が広い立派な寺である、清の墓はもちろんないが、漱石の句碑があり、清の墓の謂れを書いた石碑がある。このくだりがある『坊っちゃん』の唐突に付け加えた感さえする最後の一節は、漱石の文章の中でも、いや、あまたある明治以来の小説の最後の文章として傑出していると私は思う。美しくあはれで、それでいて何か暖かさが感ぜられ、決して忘れえない文章である。
 
「あはれ」と言えば、樋口一葉の本郷菊坂町から丸山福山町で亡くなるまでの約5年間の生活である。奇跡の14カ月と呼ばれる最晩年に書かれた『にごりえ』『たけくらべ』などの主要作品もさることながら、「若葉かげ」から、「水の上」「みづのうへ」「ミづの上」「水のうへ」あるいは「みづの上」などとさまざまに名ずけて書き記された日記は、一葉の普段の生活を犠牲にしても、「われは女成りけるものを」と女の自立と宿命を交差させざるをえない内面の表現へと駆り立てられる姿は「あはれ」というより他はなく、流れるような文章による、その無比なる表現は小説以上の感を与え、日記文学として類を見ないものがある。なにせ文章がいい。文章にこれほど気品があり、美しくなめらかに書かれている日本語は『源氏物語』以来のことではなかろうかと言っても大袈裟にはなるまい。その文体で書いた小説が徐々に認めされ始めた矢先、病に倒れ24歳で亡くなった「一葉女史」こと「樋口奈津」こそ、真の意味で天才の名に値する文章書きのように思える。一葉の文章を読む人が絶えない限り「日本語が滅びることはない」(水村美苗さんへ)。
 本郷菊坂の井戸のある旧居跡から北の方角に階段を上がり、そこを右に曲がり狭い路地を表の比較的広い道まで出て、また左の階段を上がると、一葉がよく通った「伊勢屋」という質屋の白壁の蔵が見える。もう営業はしていないが、一年に一度内部公開しているという。蔵の風情は当時の面影を今も残しており、一葉の路地裏の生活が偲ばれる建物である。樋口家の故郷である甲州にも一度も帰らず、東京を離れることなく、小石川水道町、伝通院、本郷、根津、下谷などを生涯の舞台とした一葉こそ「路地裏の世界」に生きた希有な文学者だったと言っていい。私も今年の暮れは、一葉の「大つごもり」などを読みながら過ごそうと思う。

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