今年は七月から九月半ばまで異常気象に見舞われ、それが社会に影響を及ぼしているような気がして、このところその変化に注意を払ってきた。私の個人的な直感のようなものだが、1990年頃から、大まかに言えば、二十一世紀を境に社会は大きな転換期を迎え始めたように思う。歴史の流れは結果的にしか認識できないが、このところその変化の兆候がはっきりしてきたことは間違いない。特に気象の変化は著しい。それに従うように世相も大きく変化しつつあるように感ぜられる。その変化に気を取られ、このところ自分の居場所について忘れがちになっていた。ブログも長いこと休んでいた。この夏の猛暑のせいもあるが、何か思想経路を遮断されていたようなところがあったのだと思われる。これから自然、特に地球全体に広がるこれまでにない気象現象の到来と歴史における新たな枠組みの再編成の時代を見つめていきたいと思う。ネットによる迅速な情報伝達による、世界の抽象的なグローバル化という自体に逆比例する形で、小さな民族の独立再編成としての退化するナショナリズムとでも言えそうな動きが始まったことは間違いない。そのような時代へと転換していく様子を注意深く見守っていきたい。実はそんな悠長なことを言っている余裕などないのだが、少なくとも現在歴史的な大転換期に突入したことははっきりと自覚しておかなければならない。これから、自然現象においても歴史の動向においても、今何が起きても不思議ではないほど逼迫した状況にあることを肝に銘じておきたい。

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長く続いているNHKの「小さな旅」という番組がある。80年代の初め頃から始まった番組だが紆余曲折があり、なにか特別なニュースや時事問題などが起こるとすぐ他の番組に変えられてしまったり、時間帯も変りいつも定時ではないが、どうしてかまだ続いている。編集企画するのもそれぞれの地方の局が担当しているという。この番組のよさの理由はよくわからないが、何か自分の古い記憶を呼び戻すようなところがあり、目新しいしいところはないがそこが返って現代の流行と対峙しているのかも知れない。この番組の私にとっての魅力はずっと変わらず、時ある時はいつも見ている。その番組の魅力は、やはり最初に出てくるタイトルの題字が暗示する雰囲気とテーマ音樂の趣きにある。地味な番組だが、その二つが実によく符号しているのだ。時間の流れがゆるやかだし、これと言った特殊な内容があるわけでもないが、どことなく懐かしさが残る番組である。もうこういう番組も最近少なくなった。時代の変化といえばそれまでだが、最近のテレビ番組は一画面の長さが短すぎると同時に小さく細かに動きすぎる。騒がしくゆったりとしたところがないのである。早く言えばすべてが子どもっぽく、色彩も動きも幼児番組のように感じられてしまう。お前が歳をとり、時代についていけなくなったのだと言われそうだが、そうばかりではなさそうである。いい番組は、それなりの評価があり長続きするものである。「小さな旅」もその一つだ。以前にも書いたことがあると思うが、内容が放映されるその土地と地続きの感じがすること、いわゆる有名な観光地のように無駄な人物があまり出てこないこと、自分がその場所に行くことはないのにある種の身近な親しみを感じさせること、つまりその画像を見ている自分自身がまさに「小さな旅」をしているような感じになることである。
しかし、実はこの「小さな旅」を可能にしているものこそ、いつでもどこでも起こり得る重要な旅の要素であり、旅というの経験の核になるものなのである。情報を頼りに世界のさまざまな国に出かけていく大きな観光旅行ではなく、ここで言う「小さな旅」こそ実質的な旅の経験の指針になることは間違いない気がするし、見知らぬ外国に行っても、この「小さな旅」の経験がその「大きな旅」を可能にさせていることは疑いないように思える。見知らぬ遠くに出かけていく「大きな旅」も結局普段身近に感ぜられる「小さな旅」の体験に還元され、その記憶の連続の上に成り立っているのである。子供の頃の小さな経験が忘れられないように「小さな旅」の印象は最期まで消えないのである。この「小さな旅」の経験を積んでいくことによって、先述した現代の歴史的大転換への対処方法も見えてくるはずである。その不思議さを自覚したい。

2 Thoughts on “この夏感じたことー「小さな旅」が教えてくれることの意味

  1. 緒方宏司 on 2017年9月19日 at 4:30 PM said:

     「小さな旅」のテーマ曲(大野雄二作曲)は「新日本紀行」(冨田勲作曲)と同じように私も好きな曲のひとつです。
     「小さな旅」は子供にとって特に大切なことだと思います。海外の観光地を旅行することは現代においては必要だとも思いますが、「小さな旅」もしてほしいものです。それも近くの公園で友だちとキャッチボールをすること、友だちの家に遊びに行くこと、近所の商店街に買い物に行く(父兄同伴の必要な場合あり)ことそのものの、人物を含めた風景が「小さな旅」のロケ地だと思われます。
     「小さな旅」の良さは、時代を経て、自分が目にして過ごしたその風景が目の当たりに現れることだと思います。日差しも、風も、町の雰囲気も自分がかって慣れ親しんだものと同じなんです。
    「小さな旅」は自分が以前慣れ育った地を旅するといい。そこには、昔と変わらない野山があるかもしれない。変わっているのは昔通った道や遊んだ公園が狭く感じられる事でしょう。
    「小さな旅」を観ると自然に対して畏敬の念をいだきます。そして温暖化など地球の自然を人為的に変えては、その結果責任は人も負わなければならないのです。
    「小さな旅」はあらためて、いい番組です。

  2. 宗像 眞次郎 on 2017年9月30日 at 12:48 AM said:

    世相の変化ということに関連して、思うところを書かせてください。
    この時代の変化の一番の原因は、パックスロマーナならぬパックスアメリカーナの崩壊ではないかと思います。イラク戦争などという、馬鹿げた火遊びをブッシュ大統領が行ったおかげで、アメリカの国力は衰退し、中東は混迷を深め、アメリカ人はすっかり内向き志向になった。トランプ氏が大統領になったのもその流れをみれば自然なことだと思います。
    北朝鮮は、これまでも、これからも、核とミサイルで周辺国を威嚇してなにがしかの妥協を周辺国に強いる(脅す)ことによってしか生きていけない。
    アメリカは口では勇ましいことを言っているが、核兵器を持つ国には絶対に戦争を仕掛けない。(最終的に戦争に勝つとしても核兵器を持つ国とことを構えるのはリスクが大きすぎる)
    アメリカは面子さえ立つならことを荒立てることはしたくない。北朝鮮相手では日米安保もおそらく機能しない。
    最終的には、アメリカは北朝鮮を核保有国として認めざるをえないことでしょう。
    そしてそれこそが日本にとって最悪の事態かもしれません。
    このままでは、丸腰の日本はずっと北朝鮮に脅されながら生きていくしかなくなることでしょう。
    それでいいのか?よくないならどうしたらいいのか?ということを今回の選挙をつうじて国民が考えるきっかけになるなら、将来のためにとても意義のあることだと思います。
    ナショナリズムに関していえば、人権も平和も、国がしっかりしていればこそ成り立つものだということは間違いないと思います。だから少数民族は独立したがる。
    四方を海に囲まれた日本人はそのあたりピンとこないひとも多いようですが、国という後ろ盾のない者は人間としての権利は守られることはない、というのは極論ではないと思います。そのことは終戦直後の大陸からの引揚者のひとたちの筆舌に尽くしがたい苦難を見れば明らかですから。
    戦後の安逸もそろそろ終わりを迎えつつあるのかも知れません。
    先生がいぜんおっしゃったように、「絶対に戦争を始めてはいけない」と思います。
    それは、「戦争から逃げる」ことではない。仕事でも戦争でも、「逃げたら向こうから追いかけてくる」。
    じゃあ、どうすればいいか?それをこそいまわたしたち一人ひとりが自分の問題として考えるべきときだと思います。それについてここでわたしの考えを述べるのは控えたいと思います。

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