高速道路や都市を迂回するバイパス道路ができて、街の景観が全く変わった。それは全世界共通の現象である。二点を結ぶ最短距離は直線であるという原理は、人間の理性とそれが要請する技術の合同作業による強引な暴力による結論である。最近自動車道路は、街の郊外にロータリーと呼ばれる方向転化する円形の道路装置が作られ、街中を通り抜けることなく次の都市に直線的に回される。フランスなどでも昔は旧市街を通る道路を走り、車を止めて街の食堂に入ったり、時間の都合がつけば街をうろつくことができた。そうこうしている時間は無償の楽しみであると同時にそこで知ることができた珍しい景観や街並みは喪失することのない記憶となり、時には忘れられない思い出の残る人物に出会い、そこで営む生活の匂いや雰囲気を味わうことができた。そこでたまたま行われている土地のお祭りや骨董市に偶然出会うこともあった。

 確かに都市も街も変わっていく。その変り方が年ごとに速くなる感じがある。まさに無常迅速だ。しかし、旧道と呼ばれる道は新しい直線の道に遮られながらも、曲がっているがゆえに部分的に残される。以前道路も道もまっすぐなものはなく、土地の高さにあわせて自然な曲線を描いていた。そういった残された場所に今でも狭い路地裏がひっそりと広がっている。路地裏は何となく薄暗く、人影が少ない寂しいく感じられるが、少し歩いてみると時間が逆流しはじめ、古い理髪店や小さな飲み屋などが子供時代に出会った記憶の中に残る親しみのようなものを感じさせてくれ、ほのぼのとした時間経過を再現させてくれる。この感覚は外国でも変わりがない。不思議な感覚である。路地裏こそどの都市においても、どんな小さな街でも親しみが持てるものが薄く淡い記憶を伴って偏在する場所であり空間である。
 かれこれ30年以上前に行った、フランス南西部の小都市でのことだ。中心に比較的大きな教会がありその前は広場になっており、その向かい側にはその都市の市庁舎があった。昼過ぎだったのか、教会の中には誰もいない。ステンドグラスの形と色が教会の土間に美しく映っていた。自分の歩く靴の音だけがやけに響いた。教会を出て裏のほうに歩いて行くと、そこにも人影はなくひっそりと静まり返っていた。地図の解説によると、そこには昔花街があり、岡場所だったようだ。道は狭く曲がりくねり、まさに路地という感じだった。教会の前と裏の雰囲気の違いは歴然としていたが、教会裏の路地は今でも忘れがたい。その小さな通りですれ違った女性は、この辺の地図も歴史も知りつくしているように早足で通り過ぎたが、路地裏の雰囲気が匂ってくるようだった。路地裏を好んで歩くようになったのはその頃からだ。

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