柳田国男の『雪國の春』は名著だと思う。かねてからの私の愛読書でもあった。
大著ではないが、『古事記』や『日本書紀」などの史書とは異なった、日本という国が自然とともに流れてきた歴史の経過がよく分かる書物である。それを読むと、日本が歴史的に受け入れてきた二重性、異なったもの意を問われることなく自然に併存している意味がよく理解できる。

二月四日頃すでに立春。しかしまだまだ寒い。それどころではない、日本では、一月一日がすでに新春なのだ。三月三日は桃の節句(雛祭り)だが、桃の花はまだ咲かないし、春はまだ遠い。それ故か、一ヶ月遅れで雛祭りをする地方も多くある。暦による「春の声」が早すぎるのである。
柳田は書く「日本の雪國には、二つの春があって早くから人情を錯綜せしめた」「澤山のけなげなる日本人は、其の歴法を固く守りつつ、雪の國まで入って來た。白く包まれた廣漠の野山には、一筋の春の萌しは見えなったけれども、神はなほ大昔の契約のままに、定まった時を以て御降りなされることを疑わず、乃ち冬籠りする門の戸を押し開いて、欣然としてまぼろしの春を待ったのである」と。
私はここに日本人の人情や感性の意識が拠り所にしている所以、あるいは起源があるように思えて仕方がない。つまり日本人は「海上の道」を南からやって来たのであり、その意識を決して忘れなかった。つまり、琉球列島まで流れ着いてそに居を構え、さらに遠く北の日本列島にまで住み着くまで北上して雪が積もる北国に住み着いてからも、暦の春と実質の春の自然的な寒暖の差を感じながら「暦の春を忘れることができなかったのである」と柳田は言う。この二重の意識が日本人の感性、あるいは考え方を決定的に規定しているように思える。その二重の構造は、あらゆる場面において妥当する、まさに一般化され普遍化された日本人の意識の原型である、と言っていい。けなげなる日本人は、そこからやってきた自分の由緒を忘れず、面目としてそれを立て、それがやって来るまで辛抱強く「待つ」ことを学び、待つことが,あるいはその待っている過程が、面目そのものになっているのである。私たちは、由緒と現実、名目と実質をいつも分けて考える思考形式の二重性が身についてしまっているのである。
実質には寒さを肌で感じながらも、春が来たと言いながら「まぼろしの春」を待っているのである。なんともけなげではないか。この「けなげさ」を忘れてはならないだろう。日本が駄目になるのはこの「けなげさ」を失ってしまう時である。決して目的を一元化して急ぎ、待つことを忘れてはならないのである。
私たちは「春は名のみの、風の寒さよ」と唄いながら、いつも「まぼろしの春」を待っているのである。この曖昧にさえ見える、二重の感性こそが初めから私たちに所与として与えられたものであり、捨て去ることは許されず、ましてや手放してはならない最も重要な生活の地平である。耐えて待つことが大切なのである。

One Thought on “春は名のみの、風の寒さよ(日本的感性と意識の二重性)

  1. 宗像 眞次郎 on 2017年3月7日 at 6:10 PM said:

    日本人のルーツというか起源については知識がないんでわかりませんが、南から来たというのは、そうかもしれないな、と思います。少なくとも大陸から渡ってきたとはとても思えない。言葉も文化(の根)も大陸のそれとはまったく異なっていますから。
    起源については横に置くとして、書かれている内容については共感いたします。
    さいきんはネットなどで、むきだしのホンネをあからさまにさらすことが、さも率直な態度ででもあるかのような風潮が蔓延して、とても苦々しい気分になることが多かったので、余計にそう感じます。
    「名目」ということばで書かれてある内容は、わたしには、「本来そうであったもの」といったニュアンスを感じます。それが、「然るべき、あるべき姿」と重なって意識されるなかで、日本人独特の倫理観、美学は培われてきたのだと思います。これは、例えば西洋の、キリスト教的世界観のような体系化されたものではないので、非常に柔軟性があって、ひとによって意識する度合いもさまざまになる。そこに多様な価値観を受け入れる(というよりやりすごす)下地があるような気がいたします。
    戦前、日本はドイツと軍事同盟を結んでいましたが、それにもかかわらず日本は世界で唯一、ユダヤ人迫害に手を染めず国策として人道的に対処した国だった(これに関してはドイツからの圧力も無視した)、ということも、そのあたりと無縁ではないような気がしています。

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