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	<title>結晶時刻</title>
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		<title>小学唱歌「故郷（ふるさと）」</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 02:56:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　誰も知っている歌に「ふるさと」という唱歌がある。｢故郷」と書くのだが、ほとんど「ふるさと」とひらがなでルビをふっている。なぜだろうか。 おそらく「故郷」と「ふるさと」とは意味が異なり、想像する対象も内容も異なっているか [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　誰も知っている歌に「ふるさと」という唱歌がある。｢故郷」と書くのだが、ほとんど「ふるさと」とひらがなでルビをふっている。なぜだろうか。<br />
おそらく「故郷」と「ふるさと」とは意味が異なり、想像する対象も内容も異なっているからではあるまいか。おそらく語感として、故郷と郷里はかなり近いが「ふるさと」は違う。あなたの郷里はどこですか、と聞かれると、長野県ですとか岡山県です、とか答える。さらに長野のどこですかと問われると、松本の南西、塩尻というところです、というように会話は続くのが普通である。つまり、郷里とは自分に関係する土地の固有名で答えることになるのである。それに対して、ひらがなで「ふるさと」というと、どこそこという固有名ではなく、一昔前の風景や情景、それに伴うそれぞれが心的に描く記憶や追憶と結びついているが、どこという規定はない。記憶の内容は個人的であっても「ふるさと」という言葉は包括的で、抽象的に概念的とさえ言える。しかも日本人だったら誰でも、どこか共通した「ふるさと」を思い浮かべることができるはずである。都会に住んでいても「ふるさと」は偏在するからである。唱歌「故郷（ふるさと）」は、１９１４(大正３）年に『小學唱歌』に掲載された。高野辰之の作詞、岡野貞一が曲をつけたといわれている。高野は長野県、岡野は鳥取県出身である。現代までこの曲は日本中どこでも日本の「ふるさと」一般として好んで歌われている。誰にでも歌いやすいメロディということもあるが、歌詞に「うさぎ追いしかの山」「小鮒釣りしかの川」と場所の固有名が使われていないところが大きいと思う。かの山、かの川は、どの山、どの川を思い出してもいいのである。しかし、自分に身近な固有名が詠いこまれている歌（ご当地ソングなど呼ばれるようなもの）に強く惹かれることはごく普通にありうることである。それを否定しているわけではない。それぞれがそれぞれの「ふるさと」の自然を想起し、それぞれの家族への思いをそれぞれの仕方で喚起させてくれる言語的普遍性を、つまり個別であり固有であるものは普遍的な表現によってもっともよく表現され得るのだ、ということを無意識のうちにこの歌から、われわれは感じ取っているのである。<br />
　この唱歌は、文語が口語へと移り、都市と田舎の区別が意識され、教育が庶民に浸透し、固有と普遍が共存しえた「大正時代」の幕明けの言語感覚と、その大衆文化意識が生み出した、近代日本人の心情なるものを「そうありたい」という形で表出し、さらにそれを「共有する」可能性を示した歴史的意味をもつものだと考えていいと思う。</p>
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		<title>記憶の不可思議さ、あるいは歴史と文学</title>
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		<pubDate>Wed, 28 Mar 2012 02:00:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　最近強く感ずることは、記憶というもののもつ不思議さです。そのことに関して「歴史と文学」の関係の難しさを知らされます。まず「事実」なるもののあいまいさです。私たちは、新聞を読んだり、さまざまな時代や事件にかんする歴史書や [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　最近強く感ずることは、記憶というもののもつ不思議さです。そのことに関して「歴史と文学」の関係の難しさを知らされます。まず「事実」なるもののあいまいさです。私たちは、新聞を読んだり、さまざまな時代や事件にかんする歴史書や、さらには、確定した史実に即して書かれる教科書のような書物を読んで、何がいつどこで起こったかを確認します。しかし、そのあいまいさに驚かされます。普通私たちが事実と考えているものも、実は「事実」そのものではなく、あいまいなものでしかないということです。何で今さらと思われるかもしれませんが、大正時代の歴史と伝記を読んでいて「歴史的事件」とよばれているものも、その事実について書く人によって全く異なってしまうということを実感したからです。「伝記」も全く同じでした。「＜事実＞などいうものはない、＜解釈＞があるだけだ」というニーチェの言葉は本当だと思いました。また「歴史はそうあったことを語り、詩作（=文学）はそうあるべきことを語るものだから、歴史より文学のほうが上位にあり、真実を語るのに適している」というアリストテレスの言い分もよくわかる気がしました。今度の東北大震災と福島の原発事故の報道などをきいていて、アリストテレスやニーチェが言っていることは、まったくその通りだと思ったのは私だけだったのでしょうか。「本当の事実」などというものは人間には語り得ないもで、個々の人間が感ずる「心情」だけが真実なのではないか、と。<br />
　そもそも、人間は過去の記憶を再現する場合、起こった事実の記憶をそのままではなく、自分の関心にあわせて、言ってみれば文学的に語っているのではないのでしょうか。それは意図的にではなく、記憶を語るということ自体がそういう構造をもっているのではないか。事実を事実として語るなどということはそもそも不可能で、それが可能だとすれば「神の手」ならず「神の記憶」を設定することによってだけなし得ることで、人間にはそういった語り方はけっして出来ないのではないか。<br />
　「舞踏会の手帳」という映画は、美しき年取った女性が、手帳に記してあった若かりし頃舞踏会で踊った男性をそれぞれ訪ねて行き、すでに年取った男たちの「現在」に出会いながら、その現実にそこにいる人物ではなく、結局記憶の中の人物に出会に来ているのだ、ということに気がつき、それぞれの現実を｢美しき過去｣から見る悲哀と幸福を感ずる物語である。人間には、過ぎ去ってしまう過去はそのようにしか語れないのではないか。森鷗外に「歴史其儘と歴史離れ」という文章がある。今私が思うことは、｢歴史其儘」などというものは捉えられない、｢歴史離れ｣してしまうのは人間の宿命かもしれない、ということである。鷗外もきっと、自分の意に反してそのように感じていたに違いない。</p>
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		<title>旅と旅行－雑誌『旅』の休刊からの回想</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 02:11:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　雑誌『旅』（新潮社）がこの3月号で休刊となる。廃刊ではない。おそらくまた近いうちに復刊されるに違いない。『旅』は、日本交通公社（今の「ＪＴＢ」の前身「日本旅行文化協会」によって1924年（大正13年）に創刊され、戦後1 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　雑誌『旅』（新潮社）がこの3月号で休刊となる。廃刊ではない。おそらくまた近いうちに復刊されるに違いない。『旅』は、日本交通公社（今の「ＪＴＢ」の前身「日本旅行文化協会」によって1924年（大正13年）に創刊され、戦後1946年から2003年まで日本交通公社によって、2004年から本年2012年3月号まで新潮社によって発刊されてきた長い歴史を持つ。創刊から1002号続いて来たという。それが今月で休刊となる。理由は定かではない。この最後の号には「休刊」という言葉はどこにも出てこない。編集長の「皆様、ご愛読ありがとうございました」という、簡単な挨拶文があるだけである。そこには、これまでの感慨というより、突然終わりになるという戸惑いのようなものさえ感じられる。近いうちにまた形を変えて再出版される計画があるのかも知れない。私はこの雑誌の熱心な読者だったとは言えないが、好きな雑誌だった。いずれにしても、雑誌名『旅』だけは残してほしい。<br />
「旅」（トラヴェル）と「旅行」（ツアー）は違う。「旅人」と「旅行者」と言葉を置き換えてみるとその違いがはっきりする。その違いの大きさを身をもって体験したことがある。私にとってそれは重要な事件だった。<br />
　ヨーロッパの最大の巡礼地スペインの西の果てサンティアゴ・デ・コンポステラの大聖堂の広場で、見知らぬ人たちが泣きながら抱き合って、ここに来たことをお互いに讃えあっている何組かの人々を見たときのことだ。この巡礼の道はどこから出発してもいいらしい。サンティアゴ・デ・コンポステラまで辿りつけばいいのだ。しかも徒歩で。普通出発地はフランスのアルル、リュ・プイ、ヴェズレー、モアサック、トール、トルーズ等の都市を起点、あるいは通過して、ピレネー山脈を越え、北スペインを西方に向かい、ガリシア地方にある目的地サンテイアゴ・デ、コンポステーラまでの長い道のりだ。最短と言われる、ピレネー山中から歩きだすルートてもおよそ800ｋｍ、少なくとも一カ月以上かかる。さらに、ドイツ、オランダなどの北の国から聖ヤコブ教会のある町を次々と経て行くルートやイギリスから船で大陸に渡り、そこから歩きだす長距離ルートなどがあり、さまざまである。世界中からそれぞれの道を通って目的地コンポステーラを目指すのである。最近日本でも出かける人が増えたという。伊勢詣、熊野詣、四国四十八か所の巡礼、秩父三十四箇所観音霊場札所めぐり、などの伝統があるからかもしれない。<br />
　私も二度コンポステーラに行ったことがある。一回目は、ポルトガル経由、もう一度は北スペイン経由である。しかし徒歩ではなかった。私は今でもそれに負い目を感じている。いつかやはり徒歩で行きたいと願っているが、果たしていない。<br />
　いつ行っても大聖堂の前には巡礼者の群れが絶えない。見知らぬ人たちが声を上げ涙を流し抱き合って祝福しあっている。聖堂の中では立ちすくんで祈り続ける人も少なくない。その光景は目的地に着き巡礼が終わった安堵感と達成感を彷彿させる、と同時に私たちに言い知れぬ負い目を感じさせる瞬間でもある。私たち旅行者にまで「完走おめでとう」とか「やっと着きましたね」とか言って祝福してくれる人たちたくさんいる。そのとき私はいつも気まずい思いをし、「すみません、私たちは歩いて来たわけではありません」と心の中で詫びるより仕方がないのである。そこで「旅人」と「旅行者」の違いを思い知らされるのである。「旅」＜英語のtravel＞という言葉は、フランス語の「働く、苦労する、重いものを運ぶ」といった意味をもつ＜travailler＞と同じ語源をもつという。そこからも「旅行」＜tour＞との違いは明白である。出来たら、完走ではなくても、ほんの一部でもいいから、星を頼りに歩く「星の道、サンティアゴ・デ・コンポステラへの道」を貝を首にかけて、ゆっくりでも徒歩で歩いてみたい、歩かなければならない、と強く思う。<br />
　雑誌『旅』が単なる「観光旅行」へと流れずに、大正時代のような「旅」に回帰するような意識をもって、また復刊してほしいと願うものである。</p>
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		<title>忘れがたい「学習参考書」</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 09:41:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　記憶に残る書物は多々あるが、今回は忘れがたく、今でも手元に残っており、居間の書棚においてある「学習参考書」について書いてみたい。 一つは、山崎貞の『新々英文解釈研究』(研究社）であり、もう一冊は、小西甚一の『古文研究法 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　記憶に残る書物は多々あるが、今回は忘れがたく、今でも手元に残っており、居間の書棚においてある「学習参考書」について書いてみたい。<br />
一つは、山崎貞の『新々英文解釈研究』(研究社）であり、もう一冊は、小西甚一の『古文研究法』（洛陽社）である。懐かしいと思われる方も多いと思う。他にもあるかと思うが、この2冊は今でも版を重ねており、購買可能である。<br />
　山崎の『英文解釈研究』はなんと大正元年秋に初版が出ており、大正4年秋に改定増補版が出るまでの三年半で十数版を重ねたという。山崎の死後、佐山栄太郎氏が1958年以降改定に改定を重ね現代までも版を更新し続け、現在第九訂版として出ている。このようなロングセラーの本はそうあるものではない。英語がこれほど普及した今日でも、十分読むに耐える内容である。明治の坪内逍遥や夏目漱石以来英語力が向上したとは到底思えない。鴎外の書くドイツ語には、時代を超えて読むに耐えうる内容と品格がある。彼らには、外国語を学ぶ任務があったと同時に、外国語を学ぶ自尊心があった。現在は「ハローワーク」などという聞くに堪えない、浅はかな和製英語がまかり通っているだけである。「異文化間コムニュケーション」等の標語に踊らされ、会話重視に偏ってしまった、現代の外国語教育に欠けているものがあるとすれば、外国語に対する尊敬と母国語への愛着である。言葉を軽々しく、安易に使ってはならない。言葉は、文化や歴史、道理や品位を担っているものだからである。どうも現在の日本において、外国語を初心に戻って学びな直す必要がありそうだ。　<br />
 小西の『古文研究法』の初版は昭和30年だが、この参考書によって、私は古文の深みと面白さを知った。そういう方は多いと思う。この書物は学習参考書でありながら、それをはるかに超えた高度な内容をもっている。今でも古文研究に欠かせない書物と言っていいかも知れない。一昨年の2010年にちま学芸文庫から『古文解釈』が復刻された、と聞いた。このような書物が文庫化されるのは頼もしいことだ。<br />
　この両方の書物は「ことば＝言葉＝言語」の重要性を、若き日の私に植えつけてくれた大切な書物である。今でも折に触れてページをめくっている。そこでは｢言葉を学ぶこと」の意味が語られ、それが読む者に伝わってくるのである。</p>
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		<title>境界領域と編集</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 03:07:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「みる　きく　よむ」は「日時計の丘」のモットーである。この三つは、ここで行われる行事に、多かれ少なかれ必ずかかわってくる行為だからである。そもそも、これらの行為は人間が「文化」なるものを作ってきた基本にある必要条件であっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「みる　きく　よむ」は「日時計の丘」のモットーである。この三つは、ここで行われる行事に、多かれ少なかれ必ずかかわってくる行為だからである。そもそも、これらの行為は人間が「文化」なるものを作ってきた基本にある必要条件であった、と言ってもいい。しかし、この三つはどちらかと言うと、文化の「受容」にかかわっている行為である。「日時計の丘」が意図する行事の場所が主にこの「みる　きく　よむ」を中心に展開するという意味では十分であろうが、文化一般を考えると、文化を創造する能動的な面が欠けている。たとえば「書く、撮る、作る」などである。「日時計の丘」はその直接的作業場には適していないが、今後は、この「創造する」方向も考慮してイヴェントやプログラムの構成を考えていきたい。となると、いわゆる「編集」という作業が重要な位置を占めることになる。創作と受容、表現と享受の関係を相互に交差させるのが「編集」という作業だからである。そもそも「文化」は、それ自体で自立することなはく、時間・空間、運動・静止などの相互関係として成立するものであり、二つ以上の要素がかかわり合う、いわゆる「境界領域」を必要とするのである。「編集」作業が重要なのもそこにある。そういった意味で「日時計の丘」は、編集作業による境界領域でありたいと願っている。<br />
クロード・レヴィ＝ストロースの最晩年の書物に同名の『みる　きく　よむ』（竹内信夫訳　みすず書房）があるが、この書物は「日時計の丘」が目指す方向をよく示してくれている、と思う。<br />
手に取っていただきたい書物である。</p>
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		<title>古本の匂い</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Dec 2011 03:56:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[古本を好きな人は多いと思う。私もその一人だ。 古本屋街は学生時代から親しんで来た場所である。神田神保町、早稲田、渋谷道玄坂、中央線沿線の高円寺、荻窪、西荻窪、私の住んでいた吉祥寺などなど。そのころは、山手線、小田急線、京 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>古本を好きな人は多いと思う。私もその一人だ。<br />
古本屋街は学生時代から親しんで来た場所である。神田神保町、早稲田、渋谷道玄坂、中央線沿線の高円寺、荻窪、西荻窪、私の住んでいた吉祥寺などなど。そのころは、山手線、小田急線、京王線、西武新宿線などの駅を降りたところの近くにも必ず古本屋があった。旅行先の町でも可能な限り古本屋を回った。かなり小さな町でも、それなりの古本屋がひっそりと本を並べていたものだ。その中に、時には探していた本が偶然に見つかることがある。そんな時は無上な喜びを感じたものだ。この本は山口市の古本屋で４０年近く前に買ったものだ、などとそのころのこと、また時の古本屋のおじさんの顔さえ思い出すことがある。<br />
<span id="more-68"></span><br />
地方の古本屋の主人はたいていかなりのお歳の人が多く、店の奥のほうに、いかにも古本屋の主人らしく静かに座って新聞を読んでいるか、古本の整理をしていた。懐かしい光景である。京都四条河原町に格調高い本がずらっと並んでいた古本屋が何軒あったが、そこの主人はたいてい無口で、本を売ろうとする気配さえ感じさせない威厳のある人が多かったように記憶している。買いたい人は買っていけという風情だった。私の故郷甲府市の北口は夕方になると暗く、当時はいわゆる駅裏といった感じだったが、そこにも二軒ほど古本屋があった。高校の時よく学校帰りに立ち寄ったものだ。今もその古本屋は存在しているだろうか。仕事の関係で福岡市に来た時に、箱崎、六本松、唐人町や大名、西新にも小さな古本屋があった。今は、現存している店もあるが、ほとんどが、歯が欠けるるように消え、ほとんど見かけなくなってしまった。おそらく、ブックオフなどのような本の売買形態に取って代わられたのであろう。<br />
　古本屋さんが急激に減ってしまったのははいつごろからだろうか。古本屋の姿も同時に一変してしまった。インターネットで古本がたやすく買えるようになったのが大きな原因だろう。かっては店頭で売っていた古本を「日本の古本屋」とか「スーパー源氏」とかいうウェブサイトに登録し、全国に販売するようになったからであろう。アマゾンの仲介販売も大きい。そもそも店頭がなく、ウェブ上の目録と倉庫だけという古本屋が多くなったという。青森県の森に近い寒村に古本屋ができた、という話を聞いたことがある。それも悪くなかろう。<br />
　私も何年か前から、古本をネットで買うようになった。何しろ便利なのである。ほしい古本がほとんど手に入るし、本が届くのも結構速い。日本全国から、洋書なら全世界から集まってくる。こんなとき、世の中は変わるものだと、つい思ってしまう。時は流れ行くのだ。<br />
　しかし、古本には古本の匂いのようなものがある。それは変わらないような気がする。新本には新本の匂いがあるが、古本の匂いはカビ臭いような、人の手あかがついたような独特の匂いがある。古本屋の棚に長く置かれていた湿り気が残っているような匂いとも言える。十年ぐらい前に、久留米市の石橋美術館の近くの古本屋の片隅に埃がかかったように、一冊の厚いドイツ語の洋書が置いてあった。背は皮が貼ってあり、中はいわゆる髭文字の活版印刷で、ずっしりと重い本だった。内容は、１９１４－１８年の第一次大戦の記録と思い出(Erinnerungen)を、地図入りで克明に記したものだった。私はその本を買った。値段は憶えていない。ページを繰ると、土臭い印刷の匂いがしたからである。しかも、始めの見開きの白いページに「大正十年七月一日　於伯林求之　　００浩平」と万年筆の記載があったからでもある。００のところは達筆の草書体で読みにくい。私は、この００浩平という人は、１００年ほど前の大正１０年にベルリンにっ行って何をしていたのだろう、久留米市近郊の方だろうか。もう亡くなっているだろうから、その子供あるいは孫の方から、その方の過去の消息を知りたいと思っているが、まだ果たしていない。<br />
　メールで古本を買うようになってから、ときどき古本屋の主人から、その本についてのいわれや内容についてのお手紙をもらうことがある。郵便で送られてくる包装の中に手紙が入っていることがあるのである。その本の内容に関しての感想のようなものから、その古本屋がある都市やその地方にまつわる話が多い。これは以前にはなかったことだ。直接店頭ではなく郵便や宅配便で買うようになったからである。それもまたいいことだと、言うべきかも知れない。<br />
　それにまた、古本には著者の「謹呈」という文字や付言が書かれていることがあったり、赤線が引いてあったりする。線が引いてあったり、書き込みしてあったりする古本は売れない、というのが常識らしいが、私は傍線が引いてあってもあまり気にならない、かえって、以前にこの本を所持していた人が、読んで重要と思ったところ、感じ入ったところなどが分かるし、文字の書き込みにも興味がある。時にはきれいな栞や簡単なメモが書かれた紙片ばかりでなく、手紙のようなものが入っていることさえある。紙幣が紙に包んで挟まれていたことさえあった。私は、そういうことも含めて、古本には「匂い」があると言っているのである。<br />
　これからも、新本もいいが、静かに古本の匂いを嗅ぎながら、古本を読み続けたい。</p>
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		<title>限界集落と無人駅</title>
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		<pubDate>Sat, 26 Nov 2011 03:39:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[現代社会における「高齢化と少子化」問題が論じられるようになって、すでに久しい。社会の構造的変化は、中小都市においては繁華街の衰退、いわゆるシャッター通りの拡大を、また農漁村には人口の過疎化現象をもたらした。人と物の流れが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>現代社会における「高齢化と少子化」問題が論じられるようになって、すでに久しい。社会の構造的変化は、中小都市においては繁華街の衰退、いわゆるシャッター通りの拡大を、また農漁村には人口の過疎化現象をもたらした。人と物の流れが新幹線の停車する大都市の駅前およびそれに連なる中心部と、国道などの大きな自動車道路の両側に吸い込まれた。その結果旧街道とＪＲ在来線が急激に衰退し、人の流れが一転した。乗客の減少した駅は次々に無人駅となり、廃駅に追い込まれたところも少なくない。バス路線がそれに代わろうとしたが、過疎化した村にはバスも行かなくなった。限界集落の誕生である。村民の高齢化と交通手段の遮断がそれを加速させている。<br />
　しかし、私にはそういった現象が必ずしも悪いとは思えない。経済的にではなく、倫理的にである。廃村や廃駅を見ていると逆接的にそう思えてくる。許せないのは、「原発」で潤う海岸の市町村や「世界遺産」の名のもとに資本主義的観光業に侵されて、あたかも発展しているように見える歴史遺産や自然遺産を抱える市町村の在り方である。限界集落や無人駅は「負の遺産」などでは決してなく、過去と未来を連結する、人間の「想像力と創造力」の原点になりうる、現代におけるもっとも重要な場所なのではないのか。消えてゆくものほど美しく、その滅びゆく姿は本当の生きる力をわれわれに与えてくれるはずである。「滅びるものには力を貸す」（ニーチェ）ことだけが、真の「再生」を可能にする絶対条件なのではないか。希望はまだそこに残されている。限界集落や無人駅はそのアレゴリーと言ってもいいように思える。<br />
技術によってではなく、自然に滅びゆくものの歴史的意味を考えていきたい。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>芭蕉の「おくのほそ道」とバッハの「平均律クラヴィーア曲集」</title>
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		<pubDate>Fri, 02 Sep 2011 01:37:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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		<description><![CDATA[かれこれ五十年ほどになるだろうか。そのころ学生だった私は、奥日光の杉林の中を歩いていた。その時、どこからかモーツァルトのイ短調ピアノソナタの第三楽章が聞こえてきた。それがなんとも快く周りの雰囲気にふさわしく響いていた。こ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>かれこれ五十年ほどになるだろうか。そのころ学生だった私は、奥日光の杉林の中を歩いていた。その時、どこからかモーツァルトのイ短調ピアノソナタの第三楽章が聞こえてきた。それがなんとも快く周りの雰囲気にふさわしく響いていた。こんな山の中なのになぜ、という疑問がわいてきたが、やはりはっきりと聞こえていた。不思議だった。今でも鮮明に覚えている経験の一つだ。<br />
　今度、画家である大穂さんが「おくのほそ道」を暗誦していて、それを朗誦してくださることを聞いたとき、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の中の曲を、特に穏やかな曲とその曲想をそこに配置したら、新たな連結の可能性が発見できるかも知れない、という思いにかられた。確かにその二つの結合は、恣意的で単なる趣味の域を出ないし、何の必然性もないように見えるが、その結合は、聞く者に新たな驚きと不可思議な感動を与えるはずだという、確信はある。菅谷さんの演奏もその結合にうまく加担してくれている。<br />
普遍的なものは、その普遍性ゆえに必然的に結合し、連結し、さらなる可能性を広げてくれるだろうからである。そもそも「世界生成」の表現は、結合の新たな可能性によるのだ。<br />
五十年前の記憶の残滓が、時間を経て、その構造をここに再生してくれたように思えてならない。</p>
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		<title>「時代を読む」ということー「大正時代」の諸相</title>
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		<pubDate>Mon, 23 May 2011 01:32:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>masatoshi</dc:creator>
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			<content:encoded><![CDATA[<p>「時代」を読むのは難しい。さまざまな事象が交差し、ある出来事の事実性を確証するのが難しいからである。しかし、生活を一変さようにせるような大事件は起こるものだ。今回のの東日本大震災と福島原発事故はそのような事件に相当する。ところが、そのような大事件は社会の仕組みさえ断絶させるが、他方、実の世相（＝生活の諸相）は変わらずに連続する面をもっている。そこにこそ、人間の喜びや悲しみの原点があり、その表現だからである。</p>
<p>これから「大正時代」という時代を一つの事例として、歴史における「断絶と連続」について考えていきたい。今回は特に、政治・経済からというよりは、生活・世相という観点から、それを再現する形で考えてみたい。次の３回に分けて、当時の音楽の歌唱と演奏、文学（小説や詩歌）の朗読、絵画や写真による映像で綴ってみたい。<br />
（１）「大正ロマンの世界」<br />
（２）「大正デモクラシーの明暗」<br />
（３）「大正から昭和へ」</p>
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		<title>人間存在の自由と尊厳－倫理は法に先行する－</title>
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		<pubDate>Tue, 26 Apr 2011 01:06:53 +0000</pubDate>
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			<content:encoded><![CDATA[<p>3月11日に起こった「東日本大震災」の次の日、福島原発の事故が報道されたとき、事故の内容はまだほとんどわからなかったが、皆へのメールに「ナージャの村」のようにならないことを願うばかりです、と書きました。「ナージャの村」はチェルノブイリの原発事故で、村民が強制避難させられた地域にありました。その村を、写真家、本橋成一が撮ったすばらしい写真集があります。映画化もされ、世界の多くの人々に感激を与え、話題になりました。そこには、その村の住民の中に、強制的避難勧告があったにもかかわらず、そこで生まれ、これまで生きてきたこの場所で死にたいと嘆願し、その村を離れなかった村民がおり、その人々の生活とそれを囲む自然が淡々と描かれています。その村に育ったニコライという村民の心境と嘆きの言葉が心を打ちます。</p>
<p>　人々はパンを食べる。<br />
　わたしたちは放射能を食べる<br />
　国はとおくに去っていった。<br />
　私たちはこの地に、<br />
　踏みとどまる。</p>
<p>　もしロシアを捨て天国に生きよ、<br />
　といわれたら、<br />
　わたしはいう、<br />
　天国はいらない、<br />
　故郷を与えよと。<br />
　　ニコライ<br />
（本橋成一『ナージャの村』より）</p>
<p>国家には、人間の自己保存と自己責任、つまり「人間存在」対して法的な強制力はないし、あってはならない。倫理は法に先行する。<br />
福島原発近郊の町村にあっても、ニコライのような住民は必ずやいるであろう。そのような人間の尊厳と自由を奪ってはならないと、強く思う。</p>
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