今更特別書くこともない話題ではあるが、わたしの一生のテーマではある。
個人的なことで恐縮だが、私は本を読むのは好きだが、読書家ではない。書物はある程度あり、書庫もあり図書室もあるが、書物の収集家ではない。書物の内容も決まっているわけではなく、いわゆる特殊な専門分野があるわけでもない。これはどうしても読まなければならないとか、これだけは読んでおくべきだと言った特別な書物があるわけではない。もちろん、今話題になっている事に関する本、今までに読んで面白かった著者の新刊などをまず読むことはあるが、読む本にそれほどのこだわりがあるわけではない。言ってみれば行き当たりばったりに読んでいるだけである。それでも、こんなに面白い本あるのだと嬉しくなる書物に出会うこともある。いずれにしても中途半端、世間で言う物にならない生活を送ってきたのだから仕方がない。今更それを変えることはできそうにもないが、変えようとも思わない。変えようと思っても変わらないし、あるきっかけによって、瞬時に変化してしまうこともある。
まず、私は本を読むのが遅い。子供の頃からである。記憶力や認識能力がないのだろうか。内容にもよるだろうが、例えば岩波新書一冊あっという間に読んでしまう友人がいた。あまりにも早いのでその本の内容を聞いてみたことがある。彼はかなり隅々まで読み内容も理解して話してくれた。やはり読むのが私の倍以上早いのだ。その時、自分の本の読み方になにか欠陥があるのか、と真剣に考えた記憶がある。人間に様々な能力の差があることはわかっていたが、自分が大切にしている領域だけに、その打撃は大きかった。早く読もうと試みたこともあったが、その本を読んだ結果がついてこなかったし、楽しくもなかった。それ以来早く読もうとすることは止めにしている。これもまた、記憶力の問題だろうが、読んだ本の内容を忘れてしまっていることが多い。一度読んで重要なところに赤線が引いてあるのに、読んだ記憶が無いのである。しかし、また読み返しているうちに、こんな内容だったと思い出すことはある。こんな内容だったと感じて嬉しくなることもある。

最近強く感ずることだが、何をするにも自分の意志や好みでするのではなく、「たまたま」(=偶々=偶然)そうしたし、結果的にそうなってしまった、というのが最高に理に適ったものではないか、と思うようになった。
偶々(=偶然)が一番だと感じている。人間、目指した目的には思うように行き着かない。努力が足りないと言われればそれまでだが、努力できる人は偶々努力ができた人であって、すべての人に出来るわけではない。

最近新聞に様々な旅行の案内が掲載される。「一人でも参加できます」などという文句が目につく。近所の知人が、昨秋チベットに行ってきた、この夏は北欧のノルウェイに行く予定だとおっしゃっていた。一人でもそういった旅行ツアーに参加しているのだと言う。確かにその広告を読むと、言語が出来なくても案内人が付き添っており、ホテルも決まっているし、その土地で見るべき場所や建造物の見学は要領よく回ってくれるという。一人旅より安全で、低価格で旅行できることは確かである。一度も足を踏み入れたことのない地域、例えば南米やアフリカ諸国などに行こうとしたらそういう団体旅行も意味があると思うし、初めての旅行なら特に安全性の面からも勧められるだろう。外国に住んでいた時、私も何度かそういったツアーに参加したこともある。
ただ今日ここで少し考えてみたいのは、旅行といえば「何々を見たてきた」というように、名所旧跡を「見る」ことが目的になっていることである。これはこれで目的も意味もあるのでそれで十分とも言える。だが、これまで様々な旅をしてきて感ずることは、名所旧跡を回ることだけが旅ではないということである。偶然訪れた町や村、そこに泊まった古い宿、偶々出遭い言葉を交わし、帰り際に土地の言葉で「サヨナラ」を言いながら手を振り続けてくれた見知らぬ人達、通り抜けた街道やそれに沿って流れる川やそこに架かる橋など忘れられない物や出来事が旅にはある。それは外国を旅していても同じだ。道に迷い、次の街に行く方向を尋ねた時親切に身振り手振りで教えてくれた老人やふと立ち寄ったカフェーで帰りがけに「有難う、お元気で」などと明るく言ってくれた女性の姿。見知らぬ場所での見知らぬ人びととの「出会いと別れ」はどこでも同じような感慨をお互い持つのものである。この言いしれぬ懐かしさは旅をしないと味わえない感覚である。これは私の旅しての感想であり確信でもある。予期しない出来事や忘れがたい人との出会い、そのような偶然の楽しみために旅をしていると言っても過言ではない。しかし旅には危険性もつき纏うし、やりきれない淋しさがやってくなることもある。特に一人旅の場合そういった気分になることがしばしばある。にもかかわらず、旅に出たくなるのは何故だろうか。旅には計り知れない無意識的な憧れのようなものがあるからだが、普段は感じない苦労もある。昔から「可愛い子には旅をさせよ」「旅は道連れ世は情け」と言った諺があるし、逆に「旅の恥は掻き捨て」と言った行動を取らざるを得ない時もある。そもそも「人生とは旅である」とも言われるように、旅は多様な出来事の連鎖でありそのの総括のようなところがある。

今回は旅一般でも名所旧跡を見て回る旅ではなく、唄と踊りに出会う旅について書いてみたい。見るだけでなく実際に耳で聞くこともある旅である。しかも普通は聞くことのない、あるいは聞いたことのない音樂や踊りに出会う旅について考えてみたい。
世界にはいわゆる「音楽祭」と呼ばれる催しも各国にある。私が行ったところだけでも「ザルツブルク音楽祭」「バイロイト音楽祭」「エクス=エン=プロヴァンス音楽祭」「ジュネーヴ音楽祭」「ブサンソン音楽祭」「プラド−カサルス音楽祭」「ドナウエッシンゲン現代音楽祭」などなどどこにもその場所にちなんだ特殊な音楽祭がある。しかも世界的に著名なものから田舎の小さな町にまである。それにヨーロッパの場合、各地、特に人里離れた場所にある修道院ではミサ曲、受難曲やオルガン演奏会など、普通の都市にある音楽ホールとは違った雰囲気で各宗派にちなんだ古くからの教会音楽などが聞ける。また、ロシアのペテルスブルクやキエフ、スイスのロザンヌ、ドイツのシュトットガルトやミュン匕ェン、カナダのモントリオールなどはバレーで著名な都市である。それらヨーロッパの大都市で開催される音樂や踊りは主にクラッシク音樂やバレーが中心で、そのためのツアーも企画されファンも結構いる。先日、この連休にハイドン、ベートーヴェン、シューベルトやシュトラウスの音楽を聞きにウィーンに行くという友人がいた。確かにこれも音樂を聞きに行く旅だし、スイスのロザンヌはオードリー・ヘップバーンやチャールス・チャップリンが晩年を過ごした静養地でもあり、バレーを見てから、高台から夕暮れのレマン湖を見るのもいい旅と言えよう。実際そこでしか見られず聞くことの出来ない旅もたしかにあるし、そういった経験もオーソドックスな旅の結果である。
ただ私がここで書きたいのは、そういった著名の場所での音樂やバレーのステージについてではない。見知らぬ街や村、あるいは偶々出くわした街の広場で行われているその土地の人達が唄い踊る唄や踊りについてあり、その土地に固有な何とも言えない情緒と懐かしさについてである。子供の頃村の神社の夏祭りに、屋台が道の両側に店を並ていたり、時には田舎回りの曲芸師や劇団の芝居小屋で昔気質の芝居をやったり、「寄ってくれてふ、見てくれてふ、ろくろっ首の女だよ」などと呼び込みがあるテントがあったり、盆踊りの列が連なったり、子供ながらに浮き浮きしたり怖がったりした思い出が蘇ってきたりすることに似た場面に、旅をしていると外国の見知らぬ土地でも出会うことがある。その広場に繰り広げられる催し、そこで唄われ、そこで踊られる音樂や踊りは、普段聞くことのないどこか特殊に異郷的であり馴染みがないところもあるが、それ故にか逆になぜか懐かしく楽しいのである。そこで売っている食べ物も、レストランにあるものとは異なり、昔はこんなものを食べていたのかと言った興味も湧いてくる。旅でしか出会わない味であり、また出会えない食卓の光景である。その時自分が日本人であることを強く感じながら、そこの土地の人達も同じ人間存在であり、喜びや悲しみという、日常の苦労や快楽を共有しているという実感が迫ってくる。この情感を同時に感ぜられのは、やはり旅においてだからであろう。そこで感ぜられるものは「文学」とか「音樂」とかいう概念を取り払い、直に感ぜられる人間の情感であり異質であると同時に共有できる普遍的なもののように感ぜられる。そもそも村の祭りのような場所で行われる伝統的な行事には「善悪」「正偽」「強弱」などの区別がなく「享楽」や「淫乱」をさえ共有し許されることがあるのである。ただ、場所と時間に制限があるだけである。「今晩ここでだけ」と言った制約はあるが、他の様々な制約は破棄されてしまう。古くからの「為來り」が残され行われるのである。現代のように国家が引率して行う「法律」やその「制約」の概念が違うのである。古代から引き継がれている「祭儀」や、古い為来りで行われる「ファスナハト」や「カーニバル=謝肉祭」、その末端で行われるそれぞれの地域に固有な「村の祭り」などには、今でもその名残が引き継がれている場合が多いのである。そもそも現代と「法概念」や「常識」に対する意識が違うのである。そこが面白い。現代問題になっている「セクハラやパワハラ」などという概念がいかに近代的な狭い考え方や行動様式に起因しているものか分かるというものである。「今ここで」が許される村祭などに出会い、そこでの「唄や踊り」それに続く行事などに出くわすことが出来るのも旅ならではの利点であるし、楽しみである。旅は「自由になれる」からではなく、日常生活の常識から解放される感覚がいいのである。それが反転し、痛むこころが露出してくることもある。だからこそ旅で出会う人達の「唄と踊り」が特別な慰めになるのである。旅に古い新しいはない。現在旅先で経験する唄も踊りにも、古い時代に詠まれた歌にもどことなく哀感が漂っているからであろうか。

有馬皇子、みずから痛みて松が枝を結ぶ歌二首
「磐白の濱松が枝を引き結びまさきくあらばまたかへり見む」
「家にあれば笥に盛る飯を、くさまくら旅にしあらば椎の葉に盛る」(『万葉集』巻二)

この歌二首は「挽歌」である。旅の歌は自然と挽歌になるのだ。

今年は殊の外寒かった。というより天候の不順さが進んでいることを認識させられた、と言ったほうがいいかも知れない。友人は、最近いわゆる四季の感覚がなくなり、夏と冬だけになったように思う、と言っていた。冷暖房装置が完備されつつあるので、家の中ではかなり温度の調整が可能になってきたことも一つの理由かもしれない。「ここは暖かいですね、外は寒いですよ」という挨拶をよく聞くようになった。新聞には、この寒気は地球温暖化の影響である、北極の氷が大量に溶け始めており、偏西風が蛇行し、寒気が南下していることに影響されているというのだ、と書いてあった。寒いのが温暖化の現象というのは一見矛盾しているようだが、説明を聞くと納得出来る。そう言えば、シベリア地方の凍土が解け始めており、地表が顔を出し始めているところがあり、以前は凍土の中に埋もれていた動物の化石が掘り出され易くなってきた、という記事を読んだことがある。同じ温暖化の結果だろう。
日本は春夏秋冬、いわゆる四季がはっきりしており、古代からその流れに沿って人事も行事も規定されてきたと言われる。子供の遊びもそうだった。しかし、現今は四季の流れの影響が少なくなってきている。なんでもいつでも出来るという意識が支配的になって来ているからであろう。しかもその意識を「進歩」という概念と結びつけている。先進国・後進国などという表現も同じ意識の延長である。最近、「進歩」に対して疑問を呈する傾向もでてきてはいるが、人間の意識はそう簡単には変わらない。無意識的にいつも進歩を要請しているのだ。しかし他方には、変わらないもの進歩などしないものへのあこがれも人間にはある。言葉の繋がりも無意識の産物で、その結びつきを換えたり変えたりするととどこかおかしくなるのである。

私が田舎育ちのせいもあるが、四季の移り変わりは回り来る時間の表れで、「ああまたやってきた」という安心感と喜びである。ただ最近、大学などで、学期初めを10月に変更しようとしたらどうか、という提案がなされている。ヨーロッパやアメリカでは大学などでは、秋が新学期のところが多いのでそれに合わせようということらしい。それに合わせることにはそれなりの意味があるとは思うが、私個人は心情的に賛成しかねるところがある。日本では三月卒業四月入学という学期初めが定着しているし、日本の四季に沿ってそれが慣習になったのだと推測される。それに合わせてか、予算などの決済も三月に行われる。その結果三月に卒業式、送別会などが行われることが多い。三月はそれ故かなんとなくさびしい季節である。そんな感じを持つのは私だけではないようだ。それも、三月が「別れの季節」だからであろう。それに、別れの季節が春だというのがいかにも日本的なのである。明治初めに出来た学校制度で行われた、いわゆる卒業式に歌われる「仰げば尊し」という唱歌があるが、その歌詞の最後は「今こそ 別れめ いざさらば」と三回繰り返される。まさに別れの歌なのである。作曲者は特定できなかったが、アメリカで歌われていた唱歌だったことが分かってきた、という。歌詞はもちろん、明治期の最初日本語でつけられたものである。最近は、歌詞が文語調で古く、内容も民主的でない、などという難癖をつけられて歌われなくなった。しかし私はそうは思わない。この歌を卒業式のとき歌って、心からあるいは自然と涙を流した生徒や学生はいかほど多くいたことか。当時は特別遊ぶ場所もなく学び舎での学校生活しか楽しい場所はなかったように感じた生徒には、卒業式に歌われるこの別れの歌は涙の出る悲しい響きがついて回っていたのである。このような伝統はやはり守るべきではなかろうか。今でも春三月この歌を聞くと別れの情感が込み上げてくる。それだけではない。そもそも歌のなかで、春と別れが結びつくのは日本古来のものであろう。それは現在にまで続いているように思われる。「春なのに お別れですか、春なのに涙がこぼれます、、、」(『春なのに』中島みゆき/詩・曲、柏原芳恵/歌)と言った曲にそれは引き継がれているように思えてくる。

四季の流れから言えば、三月を過ぎ四月にると春は明るくなってくる。どうしてなのだろうか。
「桜咲いたら一年生、、、」。四月は「別れの季節」の3月を経て、「出立の季節」となる。ここでも、学校制度の学期初めを9−10月にしたら「秋風吹いたら一年生、、、」のようになり、やはり日本の風土には馴染まない。ということは、季節という概念は、自然の流れと人事・制度が一体となってできてきた概念というのが正しいのかも知れない。人によってその感じ方のニュアンスはそれぞれ微妙に違ってくるだろうが、春夏秋冬という季節に共通の何かがあるように響くのはそのために違いない。「紙ふうせん」という人達が唄う『冬が来る前に』(後藤悦二郎/詩、浦野 正/曲)という曲があるが、ここで「冬が来るまえに」でなくては駄目で、他の季節では曲想が合わなくなる。たとえば「春が来るまえに」と言ったら、どこかおかしい。あまりそうは言わないということなのだろうが、日本語は「詞と辞」の二つの言葉の連関から成り立っているのだが、詞と辞の関係はどこかで密接につながっており、「、、なのに」「、、まえに」という辞に当たる言葉によってあとに来る詞を導いて來る「カササギの渡せる橋」を用意しているようにも思えてくる。特に春夏秋冬のような季節に関しての表現などは、多くの歌人がこれまで経験して来た言葉の歴史的な繋がりから自ずと規定されている意味合いが強いのかもしれない。そうなると古文で言う「枕詞」なども同じ原理で結びついているように思えてくる。「冬なのにお別れですか」でも「夏なのにお別れですか」でも「秋なのにお別れですか」でもやはりおかしいのである。その微妙な差異から、長いこと積み重ねられきざみ込まれてきた年輪の産み落とした言葉の足音を聞くように要請され、その音を聞く造作を養うことが必要不可欠であることを、この春強く自覚したいと思った。

このところ寒波がやってきて、大雪をもたらした、という記事や映像が新聞やテレビに載った。東京に久し振りに20センチあまりの積雪があったからだが、日本海側の積雪地帯の人たちは、東京にも雪が降ったのか、20センチ位でなんでそんなに騒ぐのだろう、と感じた人は多くいたであろう。私もそう思った。
ただ、雪にはどこか人を日常生活から隔離させてしまうような、言って見れば非現実的な感覚をもたらすものがあるようだ。川端の小説『雪国』も雪がもたらす、周囲や通常持っている普通の意識さえ無化してしまうような感覚に多くを負っていることは確かだろう。私も子供の頃からの「雪の思い出」は多く、深く心に刻まれている経験も少なくない。雪にはどこか不思議な感覚を喚起する要素があるのだ。 Read More →

冬至を過ぎ今年も残り少なくなった。このところ文章を書くのが遅くなってきたし、纏まりがなく完結しなくなった。
今年の夏休みを過ぎてから、自分の考えがまとまらなくなったのである。歳のせいもあるがそれだけではなさそうだ。ブログの文章も休みがちになった。書くことがないわけではないが、まとまった文章にならないのである。 Read More →

今年は七月から九月半ばまで異常気象に見舞われ、それが社会に影響を及ぼしているような気がして、このところその変化に注意を払ってきた。私の個人的な直感のようなものだが、1990年頃から、大まかに言えば、二十一世紀を境に社会は大きな転換期を迎え始めたように思う。歴史の流れは結果的にしか認識できないが、このところその変化の兆候がはっきりしてきたことは間違いない。特に気象の変化は著しい。それに従うように世相も大きく変化しつつあるように感ぜられる。その変化に気を取られ、このところ自分の居場所について忘れがちになっていた。ブログも長いこと休んでいた。この夏の猛暑のせいもあるが、何か思想経路を遮断されていたようなところがあったのだと思われる。これから自然、特に地球全体に広がるこれまでにない気象現象の到来と歴史における新たな枠組みの再編成の時代を見つめていきたいと思う。ネットによる迅速な情報伝達による、世界の抽象的なグローバル化という自体に逆比例する形で、小さな民族の独立再編成としての退化するナショナリズムとでも言えそうな動きが始まったことは間違いない。そのような時代へと転換していく様子を注意深く見守っていきたい。実はそんな悠長なことを言っている余裕などないのだが、少なくとも現在歴史的な大転換期に突入したことははっきりと自覚しておかなければならない。これから、自然現象においても歴史の動向においても、今何が起きても不思議ではないほど逼迫した状況にあることを肝に銘じておきたい。 Read More →

梅雨明けと同時に蝉が鳴き出した。普通最初に鳴き出すのはニイニイゼミだが、今年は複数の種類の蝉が一斉に鳴き出したような気がした。蝉もこの暑さと湿気に戸惑ったのかもしれない。やはりこのところ自然は明らかに変化してきている。とくに雨の降り方の変化が大きい。局地的に大雨が長く続くところと、雨量が少なく干ばつになる地域との格差が大きくなってきている。それは日本だけでなく、地中海周辺でも似たような減少が起きているという。乾燥したコルシカ島で大きな山火事があり、ローマやヴァチカンでは泉が枯れ初め、水の制限が始まったという。ヴァチカンでは、ここで泉の水を止めざるをえないのは有史始まって以来のことだという。ここ九州北部地方でもそうだが、水害と干ばつが同時に起こっている。やはりこれはどこかおかしい。

それ以上に人間の方も急激に変化させられているようだ。先日東京の文京区小石川に住んでいる小学五年生と三年生の女の子が家に遊びに来た。私はなるべく外に出るようにさせたが、外の気温が高いこともあって、あまり外に出ず涼しい家の中で漫画本ばかり読んでいる。夕方になった時、一斉に庭の蝉が鳴き出した。すると、上の子が「せみがうるさい」と言って耳に手で蓋をしながらまだ本を読んでいた。
子どもが「蝉がうるさい」といったのを聞いて、以前外国人がコオロギの声がうるさいと言った、という記事を新聞で読んだことを思いだした。われわれは夕方から夜にかけて、コオロギの声が縁の下の方から聞こえてくると、なんとなく秋が深まていく情緒を感じたものだが、外国人には騒音にしか聞こえないらしい、というコメントが付いていた。そういうことだったのか、と子どもの蝉に対する反応を聞きながらそう思った。子どもには、外で鳴く蝉の声が実際にうるさかったのだろうと驚かざるを得なかった。そのとき驚きと同時に、さもありなん、といやに納得させられた。
人間の五感は、聞く人間のそれまでの生活環境によって変り、それによって形成されるのである。その子どもにとって、外から聞こえてくる道路工事の音も庭の樹で鳴く蝉の声も同じように「うるさく」聞こえたのだ。外国人だからではない。生活習慣の違いからなのだ。
現在、人間が感ずる五感は外からの物理的な刺激だけでなく、それがすぐ情報に転嫁されて届くようになってきているのだ。大袈裟に言えば、外界の形や色、声や音の質もスマホを通して感ぜられるものになってしまっているのである。スマホで聞こうとしない蝉の声は、それが外から直に聞こえてきたら、聞きたくない雑音になってしまうのである。自分に都合の良い情報だけを選択して受け取るようになってきているのだ。その子達はそうではなかったが、都会のマンションの12階に住んで自分の勉強部屋でスマホの情報を主な感覚と知識に限定される子どもたちは、その生活空間によって自然から遮断されることは間違いない。道路工事の音も、蝉の声も情報化されると同じ雑音として聞こえてしまうのである。
自然を情報化し、存在がすべて意識化されてしまう時代が近いことを知らされた、子どもたちとの体験だった。

先日「雨が降らない、なぜ?」を書いたばかりだったのに、このところ福岡朝倉市、大分日田市、愛知県犬山市周辺で局地的(局所的)豪雨が長く降り続いた。豪雨は以前もあったが,その降り方が特殊だったらしい。普通の域を超えていたらしい。しかも、これまで一度も起こらなかった山崩れが(がけ崩れではない)起こった。砂混じりの土砂が樹木を同時に押し流し、その大木が川をせき止め湖のように広く水嵩が増し、山間集落を孤立させたところさえ出てきた。
今回の豪雨の特色は、雨雲が高いところまで居座っていて、一旦止んだ雨が、下がってきた雨雲が同じ場所に何度も降り続けるということだったらしい。専門家でないから詳細は分からないが、狭い土地に局地的に長く降り、その量が記録的な量になったことらしい。これは新しい現象だという。
このような現象が長く続くと、雨の少ない地域と豪雨になる地域とが分裂してくる可能性がある。天気予報も九州北部とか南部とかではその予報が全く意味をなさない。私が子供だった頃、ラジオ(今はテレヴィ)の予報はあまり意味がない、自分で、自分の家から見える西の空の雲の様子を観察するしかない、と農家のおじさんが昔子供の頃言っていたのを思い出した。それが極端になってきたのだろうか。
また一方では雨特に梅雨の雨は、当時はしとしとと降っていた。少なくともそのように感じていたように見える。大雨・洪水・台風などはあったが、その影響が「局地的」になってきたのが現今の特徴である。
以前は、

「雨が降ります 雨が降る
遊びに行きたし 傘はなし
紅緒のかっこの 緒が切れた」

「あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
チャップチャップ チャップチャップ
ランランラン」

このような童謡に歌われた雨には、局所的な豪雨の感じはない。親しみさえ感じさせる。
やはり時代とともに雨の降り方が変わってきたとしか思えない。今年の7月の集中豪雨はその傾向をはっきり
示してきているように思えて仕方がない。
自然も変化するのだ。ただ、昔から雨がふらず日照り続きで「雨乞い」をする習慣は各地にいくらもあった。そのお陰で久々に降る雨を「喜雨」とか「慈雨」とか言って喜んだ。俳句では七月、夏の季語である。私が無知なせいかもしれませんが、今度の豪雨のような雨はあまり歌や俳句には詠まれていないように思う。
芭蕉の『おくの細道』の中に、
「五月雨を 集めてはやし 最上川」
という有名な句があるが、最初は「五月雨を 集めて涼し 最上川」となっていたと言うから、この句にも川が増水し土手が氾濫すると言った雰囲気はない。日本の詩歌に特質的な文学的な描写だからそうなるのだろうか。
今度の豪雨はその文学的表現を遥かに凌駕し、自然の脅威を新たな形で意識させられた。自然の変移に良し悪しはないにしても、今「なぜ?」という疑問は残る。自然を甘く見てはならないと、感ずるこの頃である。

梅雨の季節なのに、雨が降らない。福岡背振山系の北側、この辺としてはめずらしい現象ではないか、これは何か大きな変化の前兆のように思えてくる。近くの溜池は底が透いて見えるほどに水が少なくなりつつある。三十年ほどここに住むが、初めての経験のような気がする。田植えの季節なので水が減るのは仕方がないが、これほど減るのは稀である。こことは逆に、鹿児島、沖縄など南の方は雨が多く、川の水が増水し氾濫状態になっているところもある。雨のよく降るところと少ないところが極端になってきている感がある。砂漠化と洪水が同居するようになってきた。やはり日本も、温暖化を伴う亜熱帯化が進んでいるのだろうか。確かに渇水や増水は何時の時代にもあった。それは確かだ。しかし、最近それは歴史上類を見ない現象、あるいはその予兆のような錯覚を起こさせるのは何故だろうか。あるいはそんな感じを持つのは私だけではないような気がする。特に若い人より年寄りのほうが天候に敏感に反応するようだ。天気予報ではない、実際の降雨に対してである。また都会に住む人より、地方に住む人のほうが天候が気になるものである。雨が降らないのが深刻なのは、地方のほうだからである。水道が来ていれば「飲水」には困らず、生活に直接関わらないからだ。しかし、実はそこが、最も肝心なところであり、重要な観点なのである。生活環境が現実から離れ、生活が抽象的に成立するようになって来たからである。

また、その予兆が自然だけでなく人間の社会全体にまで及んでくることさえ考えられるからである。現在の社会は、どちらの方向に向かっているのか見当がつかなくなり、誰にもその全体の動きが把握できなくなってきている。それは日本だけではなく世界全体が混沌とした部分を露呈し始めているのかも知れない。以前から「遺伝子操作、ナノテクノロジー、先端科学技術」について生命倫理学などの分野で警鐘が鳴らされては来た。しかし現実は知識人や科学者の発言以上にその進歩のスピードは早く、深刻さを増してきている。人工知能が予想以上に早く動き出して、その驚きの成果を現実に示しはじめているのもその一つの表れだろう。チェスや、将棋、最近は囲碁の勝負もこのままでは人間は勝てないことが分かってきた。それがあらゆる分野に浸透し始めている。その変化の速度に意識がついていけないのである。かのピノキオがゼベット爺さんを困らせたように、人間これから何をやったらいいのか、その変化が不安にさえなっ来たのである。その無意識的な不安を払拭でもするかのように、メディアによる奇妙な流行が盛んだ。生活から現実性がなくなってしまった結果であり、しかもそれがそうさせられてしまっているところにが問題であり、その結果まさにどうしたらいいのか分からなくなってしまったのである。ゼベット爺さんはピノキオの動作の動きと速度に戸惑っている自分に自覚的になれたが、現代の我々は、その自覚さえ奪われてしまっているのではないだろうか。それ故、そう言った変化に伴い、これまでの位置関係や価値観の変化が、しかもその質の変化が我々には読めなくなってなって来ているのである。それはもしかしたら、世界史的にまだ経験したことのない事実に遭遇し始め、まさに世紀の大転換期に差し掛かっているのかもしれない。しかしここではそんな大袈裟なことを言いたいわけではない。私がここで言いたいことは、雨が降らない、水不足になる、農家は困る、ということもさることながら、水という物質、昔から生命の水と呼ばれてきた水が抽象化された情報に取って代わろうとしていることが問題なのだ、ということである。逆に言えば、抽象化された飲み物さえあれば、雨など降らなくてもいいということになるのである。「水などいらないよ、コカコーラがあれば」と言った子どものように。

最近重要だと思うことは、雨が降らない、水不足になったら困るなあ!と言った素朴な疑問が大切なのではないかということである。そこが人間存在の最も基本的なことだからである。そこを忘れてはならない。知識人や専門家、ましてや政治家や経済学者、あるいは科学者の判断に任せられないのが人間のむずかしいところなのだ。そういう知識や情報ではなく、「水」そのものの存在が忘れ去られることが実は問題なのである。『裸の王様』の話は示唆的だというべきだろう。王様が裸であることを子どものように素朴に感じ「あの王様は裸だ」と素直に言える事が重要なのである。
その辺のところの素朴な疑問を、現代社会においては情報操作によって消し去ってしまっていないだろうか。生活にとっては天気予報が問題ではなく、実際雨が降るか降らないかが問題であり現実なのであるから。